三月になりました。おまけに暖冬だったそうで、函館では二か月早く梅の花が咲いたそうです。 梅花が開くような土地は温かいようですが、札幌はまだまだ寒いです。 樹皮の色が明るみを帯びて、陽の光の明度が一段、明るくなったようにも思いますが、春はまだまだ・・・ 春なんてもう来ないに違いない、とすっかり諦めきった時に、来るんですよね。春。 「ハムレット役者」芥川比呂志エッセイ集 講談社 小説家・芥川龍之介の長男・役者で演出家だった芥川比呂志氏の思い出と昭和演劇史。 お父さんとお母さんの思い出。青春時代。そして、新進役者だった時代。肺結核の手術を経て、演出家に転向した氏の思い出。そして、熱っぽく、静かな文体で語られる演劇論は読み応えありました。 表題の「ハムレット役者」は本書の編集協力した丸谷才一氏がつけたそうです。 歌舞伎の忠臣蔵で勘平役が上手い役者を「勘平役者」などと言うそうで。(演者自身が若いからさまになる役・芸が上達したからといってできる訳ではない役 みたいな意味らしいんですが)若き日の比呂志氏の「ハムレット」は「悩める青年」から「行動的な悩める王子」として当時かなり革新的な演技だったとか。(ちなみにガートルード役は杉村春子さんだったそうです。豪華キャストですねえ)
氏が舞台で本を手にとって読んでいるだけで「ラテン語の図書を読んでいる」様に見えた、とは当時の評。スゴ〜〜イ!
若い頃のポートレート写真の芥川比呂志氏は舞台役者だけあって目鼻立ちが大きい男前でした。身長も171センチ、と当時の男性にしてはタッパもあったようです。あの御父上から、あの悩ましげな彫の深いマスクを受け継いだようで、あの顔で眉間にタテジワを造って「生きるべきか、死ぬべきか〜」と言う台詞を言う舞台は、さぞ見栄えがしたことでしょう。
演者としてのコラム「戯曲を読む」は演者が、舞台をどう捉えているのか、もしくはどう捉えるべきなのか、そして観手は、演者を含めて舞台をどう捉えるべきか、としての演劇論で、興味津々で読みました。 演者として戯曲を読む際、先ず、戯曲として読むな、と。作品として読め、という下りに思わず「ほええ〜」 台詞を意識するな、先ず、作品の意図、テーマを読み取ることを心がけましょう、とのこと。そう読むことで、全ての人物の存在意義を理解し、舞台全体を把握しましょう。そうすることが、自分の台詞、他の台詞、登場人物全ての解釈に理解を深め、演ずる上で役者として躓きかねない状況を招かぬことができる。 んだそうですが。そうなんですか?
ハムレット役上演時、余りにタイツが小道具の剣に触れ、伝線するのでお稽古時、伝線したタイツを重ね穿きして本番の時、またその重ね穿きしたタイツの上に新品のタイツを穿いていた、というエピソードに思わず微笑を誘われました。舞台人の苦労とはナサケナク辛いこともあるのですね〜 「タイツ重ね穿き」が大げさに伝わって「15枚穿いていた」「いや三十枚?」みたいな冗談の種になったそうで。トホホなエピソード・・・ 男性のタイツ姿と来るとまず私なんぞは局部の「もっこり」が気になるところです。 こんな話ばかりされては、役者としては更にトホホなことでしょう。 当時のハムレット諸氏は「もっこり」をどう処理されていたのか? 以前、クラシックバレエのダンサーがあんまり局部ばかり話題にされるので局部じゃなくて舞台と舞踊をみてくれ、と怒っておられましたが(;^_^A だって、気になるわよ。 生足トリトンのミニスカ(←ミニスカ言うな)のアンダーウエアが気になるのとおんなじ〜〜
芥川パパとの思い出も懐かしい、明るい光に満ちたような品のいい、よい文章でした。編集の丸谷氏も言っておられたけれど、いい文章を書く方ですね、比呂志さん。 お父さんとの思い出にて。 適当に孫引きします。機会がありましたら、是非本文を御覧下さいませ。
日頃、インドア派だった比呂志少年が、ふとした事から庭木に登りたくなった。で、登ってみようとしたが、上手く登れない。上に行こうと懸命に体を伸ばすが、伸ばしてもネルの着物が木肌に摺れてずり下がるばかり。と、なんとか自力で途中まで登ると二階の書斎の芥川パパと目が合ってしまった。咄嗟に、比呂志少年、書斎の父の仕事の邪魔をしてはいけない、と言われていたので叱られる、と思った、が。 芥川パパ目が合うとパパ、にっこり笑って、二回の書斎の窓から身を乗り出し、比呂志少年に そこの上の枝に足を掛けながら、あっちの枝に左手を伸ばしてごらん、などと息子に木登りレクチュアをしてくれる。すると、するすると木に登れる比呂志少年。あっという間に木のてっぺんに。書斎から見ていた芥川パパ、いつのまにか書斎からでて、比呂志少年の登っている木にあっという間に登ったかと思うと、今度は木からの下り方(こっちの方が難しいんですよね。怖いし。一応経験者)を、また、こっちの枝に足を下ろして、などと一緒に下りてくれた。下りたのは地面ならぬ、二階のトタン屋根の上。そこから二階の縁側を伝って、二階の芥川パパの書斎の窓から家に入った、とか。 ちょっとした冒険ですね。
子供の頃、庭木(実のなる桜でした)に登った時のことを思い出しましたよ。 腰をかけるのに格好な枝ぶり、三つ又になった枝の部分に、なんで小鳥はここに巣を掛けないんだろう、巣が掛けやすいだろうに、軒先に巣を掛ける雀をここに引越しさせられないものだろうか、などと架空の鳥相手に不動産屋めいたことを考えていたり。よく考えてみたら、子供が登れるような場所に鳥が巣を掛けるわけはありません。 幸い怪我もしませんでしたので、木の登るのも下りるのも、怖くもありませんでしたが、木から降りたとき、下の藪に足が落ちてしまい、藪から足を抜いたら、オレンジと黒の毛虫が私の足の上をうぞうぞと這っていたのに、振り落とそうとして悲鳴を上げたことなどがありました。あれは怖かった。
あと、芥川パパに比呂志少年が「おばけの絵を描いて、とねだった」という思いでも、なにやら可笑しいお話でした。「怖いぞ」と念を押す芥川パパ。「怖くていい」という比呂志少年。が、芥川パパの描くおばけの絵は、一向に怖く無い(笑) なにしろ、あやめの花に葉と茎をかいて虫の様な手足を書き添え、「あやめばった」 ・・・う〜ん。確かにこれは怖くない。 この時のことなのか、パパがこの絵にこう書き添えていたそうです
「わがめづる ばけものどもを 絵に描けり 怖くなくとも すこし怖がれ」 大笑。 憂愁に満ちたイメージの芥川龍之介に、こういう普通に父親していた一面があったんだなあ、と。 戦後に芥川比呂志氏が津軽青森まで太宰治に会いに行ったときのエピソードなんかも、太宰=暗い なんてイメージが払拭されるようないい話でした。 比呂志氏は、人の明るい面を、引き出してしまう御人柄だったのかもしれません。そんな風に思いました。
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