「里見じゅん随筆集」 紅野敏郎編 岩波文庫 (じゅん は本当は漢字なんですが ナスカの日記帳が変換できないと抜かしやがりました ナスカさん 日本の文化を蔑ろにしてはいけませんよ) 本書の解説曰く、「最後の文人」 軽妙洒脱な語り口、九十四まで現役作家だったという有島武郎、生馬、兄弟の末弟、である里見のエッセイ集。 ペンネーム使用は本名で活動していた時代、御父上にばれて一括されたことによるらしい。 御父上曰く 「職業に貴賎は無いが、文士は、役者、幇間と同じ。身を立てる職業ではない。」 青春時代、当時の文士が通過儀礼の如くしでかした痴情のもつれ、自殺未遂、なんてしでかした三男でも こう言われるんですねえ。 そういう時代だったんですね。華族の坊ちゃんとはいえ、三男でもこうだったのか。 性格、本人曰く「生意気、傲慢、知ったかぶり、負けず嫌い」 加えて、私見では 陽気、開けっぴろげ、気さく。 こういう性格の人間、どっかにいたな (いえ 私ではなく) そうか。 両津勘吉 だ。 とまあ、こう、憎めないがその行動が目に余る、ということはしばしあったらしく、六歳上の志賀直哉に 「義絶」 「されている」 されるだけのことをしてきたのでしょう(笑) が、義絶した両者を見かねて、わざわざ共通の友人が取り持って、九年間の義絶期間を経て、和解した経過を綴った「春の水のぬるむが如くに」は佳品でした。 本文末尾より 〜よい友とは、何をしてもよい。絶交してさえもよい。つまらない友とは、何をしても悪い。共に芸術を論じて、夜を徹しようとも遂に成すところはないのだ。〜 全く同感。 知り合い程度の人間関係に腹を探り合いするような時間の空費をするよりは、蔵腹無い友人と、感性を、時間を、共有したい。 そして、互いに「友人」と呼び合えることの嬉しさ、愉しさ、その至福。 ねがわくば、私だけでなく、相手もそう思ってくれていればよいのですが。 |