田辺聖子の新源氏物語を引っ張り出して再読。 後半に行けば行くほど痛快に面白い。 特に「若菜」以降の人間愛憎劇は急転直下の面白さ これって幸せになりたくて幸せになりたくて幸せの模索の方法を間違えてしまった男の話でもあるんだよなあ と思いつつ読むのだが、若菜の前に「藤裏葉」の帖が好きで再々読む。 仲を裂かれた幼馴染カップル、源氏の嫡男・夕霧と内大臣の娘・雲居雁 世に知られた恋愛であることから雲居雁を他所に縁付けるわけにも行かず、一方夕霧は権門の嫡男であるからつぎつぎと縁談が持ち込まれ、内大臣は気が気でないが実直な夕霧は筒井筒の恋を忘れられない。 しかし一旦仲を裂かれたからには内大臣家側が頭を下げて雲居雁をもらってやってくれ、と言うまでは、という男としてのプライドがある。 そんなとき、夕霧の祖母(内大臣の実母)の法要があり、時ならぬにわか雨で同じ木陰で雨宿りした内大臣と夕霧が久しぶりの言葉を交わし、互いがかつては叔父、甥として慣れ親しんだ仲であったことを再認識する。 内大臣は自宅の藤の花観の宴にかこつけて夕霧を招待し、宴のなかで昔の行き違いを水に流そう、と互いが互いを赦し合い、また夕霧に雲居雁を許す。宴もたけなわ、夕霧ははれて花婿として花嫁の新床に導かれ、かくて恋人たちは結ばれる。 ひとの気持ちがほどけるときって、こういうささいなことがきかっけなのかもしれないな、と。 小説としての筋もハッピーエンドだけあって気持ち好いのだが、ハッピーエンドに至るまでのディティールがまことに気持ちいい。 夕霧が内大臣家の宴に向うまえに父親の源氏が、わざわざ自分が息子の晴れ着を見立てて権門としてライバルでもあり旧友でもある内大臣家に婿がねとしていくのならば、と大人びた衣装を身につけさせる男親としてのこまやかな配慮、とか 新床のあと後朝の文を書いて使いをさせる、このときの文遣いが長年幼馴染カップルの文遣いをしてきた男で、いままでは、こそこそと遣いを果たしていたが、晴れて後朝の文遣いとして、もてなしを受けて、こんな日がこようとは、と喜ぶ、とか 幸せな出来事があるとそのまわり全体が和やかになるあの雰囲気の描写が実に気持ちいい。 ひとはいい事もするし、おろかなこともするが、その何もかもを含めて、人を愛したい、人生を愛したいという人間賛歌をそこに見出すのはあながち大げさではないだろう。 最近、知れば知るほど 「こいつバカなんじゃねえの」 みたいな事ばかりだったんであるが、もしかしたら自分が勝手にフィルタ通して人を見ていたという可能性もある つまんないプライドが邪魔をしなければ仲直りなんて案外簡単なのかもしれない。 でも、そこまで仲良くなりたい程慕わしい人物なら、そもそもこういう諍いは起こさんかもな
私自身を含めて |