読書感想 「凡人として生きるということ」 押井守 幻冬社新書 「うる星やつら」、映画「攻殻機動隊」の監督として有名な押井守氏の人生哲学と人生を振り返るエッセイ といえば聞こえはいいが、内容的には押井氏の備忘録に近いのかもしれない。 五パーセントの才能ある「有産階級」が仕事をするためには残り九十五パーセントの凡人という無産階級が必要なのだ、というアニメーションの監督という仕事に携わっていたら言わずもがなのことをわざわざ文章にして残す。 憶測はいくらでも出来るがこれは自分は五パーセントの側だと思っていた人物が時に九十五パーセントの側に回ったときの感想ではないか?と それゆえの自戒ではないかとおもうと、かつて映画「イノセンス」を鑑賞したときクオリティは流石ながらひねりの無さ過ぎる大人しいオチに“押井守、老いたり”という感想がなにやら実感として受け止められないでもない。 プロフィールによると押井氏は1951生まれ。 六十近いわけだ。 かつて孔子が「五十にして天命を知り、六十にして耳順(したご)う」と(五十歳で抗えない運命の力を悟り、六十歳で人の言葉が素直に受け止められるようになる)言ったというがそう考えると押井氏も“耳順う”に相応の老けかたしたといえなくも無い。 だが自分の十代の頃元気いい作品をがっつんがっつん創っていた人物なのだから、もう一丁元気出して、こっちを唸らせるような作品を一つお願いしますよ、と声をかけたいような気持ちを抑えられなくなりそうな本書でした。 「マリー・アントワネットの調香師 ジャン・ルイ・ファージョンの秘められた生涯」 エリザベット・ド・フェドー著 田村愛訳 原書房 公文書のなかの18世紀の調香師、ジャン・ルイ・ファージョンを題材にした小説。 わざわざ公文書があるなら同時代人の書簡などもっと引用して記録の中から遠い時代の人間の人となりが浮かび上がってくるようなアンリ・トロワイヤ風の手法で書かれた内容を期待したんですが。 小説としては未熟、伝記にしては取材不足を感じないでもないが、コスメの歴史として読むとそれなりに興味深い。 当時のファージョンは香水だけでなく、基礎化粧品から白粉、肌の手入れのから地肌含む髪の手入れ、入浴剤に至るまで女王の「香りと美容」を一手に引き受ける存在であり、おハイソな上流階級の中女王御用達のドレスメーカーのベルタンを軽蔑し(ベルバラにも出てきたなあ、このひと)女王専任理髪師を毛嫌いしつ、宮廷を泳ぎ回る抜け目ない御用商人であり、職人だった。 一人いると便利に違いないが、便利に使われるほうは忙しくてたまらんだろう。 あるときファージョンは女王に召しだされ、プリ・トリアノン宮に相応しい香りを創るように、という要請を受ける。 完成した香水はバラが主体、チュベローズが強く、当時斬新だった新鮮なグリーンノートがスミレの香りとともにトップノートの添えられていた。 今嗅いでもこれはかなりファンシーな香りでしょう。 要するにロココの匂いなんですね。 ときに不安をかきたてられるチュベローズが強く香り、不倫の愛人がいたのだろう、とフェルゼンの存在を嗅ぎ取るというファージョンの調香師ならではというべきエピソードは創作にしてもなかなか上手い。 公人として公務を逃げ回っていたアントワネットは私宮として愛したプチ・トリアノン宮で安息を見出したはいいが、公人としてのだめっぷりは否応無くフランスを革命という荒海に叩き落す。 ファージョンは女王を評して「愛らしく優美で心根の優しい夫人だった、しかし女王の地位に相応しい夫人ではなかった」と感想を残しつつ、革命裁判でときに貴族の側にいた人物と糾弾されながら堂々と才能をもってフランス王家と国家に仕えた、と反論し革命の荒波を泳ぎ渡る。 ほとぼりがさめてもファージョンは商売を再開せず、店を畳む。 金払いの悪くないロココのミューズのない世界で香水を創る気が失せたのかもしれません。 ところでこの「女王の香り」資生堂で2001、2006年に再現して限定再販したそうです。 売り上げの一部はチャリティに回され、マリー・アントワネットの旅行用化粧箪笥をヴェルサイユ宮殿に買い戻すための資金の一部になっているそうです。 |