拾遺


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...... 2009年02月20日 の日記 ......
■ 読書とか   [ NO. 2009022002-1 ]

 

読書感想

 

「かくれざと苦界行」 隆慶一郎著 集英社

 

「吉原御免状」の六年後にあたる続編。

吉原に住まう“非常民”傀儡衆の総意を受けて吉原の三代目惣名主となった後水尾法皇の落胤にして宮本武蔵の剣二天一流を継承する天才剣士(美青年)松永誠一郎。

彼と傀儡衆を脅かす裏柳生とその棟梁義仙は、老中酒井と結託し、岡場所を乱設し、吉原を、傀儡衆を、今回は武力や戦闘ではなく経済的に圧迫することによって、再度誠一郎と対決する。

誠一郎によしみを通じ、好感を持ちつつ義仙への恩義を感じ、自ら戦闘集団・傀儡衆を殺戮する〇〇〇〇〇〇(ネタバレにつき伏字)との死闘。

仲間の傀儡衆を殺され、誠一郎は言う。

 

「なぜ?」

「尋常の立合いだ」

 

敵味方双方に義理がある〇〇〇〇〇〇はすまない、と言えない。

誠一郎はさらに問う

「でも、何故ですか?!」

イノセントではもはやない修羅の身でありながら、そのピュアな気性故に、問うて詮無い言葉。

そのとき、敵味方同時にそれを理解し戦いの場で苦笑してしまう

 

「餓鬼で悪いね」

「そこが素晴らしいところなんだが……」

「扱いにくい点でもある」

 

しかしこの殺戮ゆえに引く傀儡衆でもなければ、味方でもなかった。

無駄に散らされた命の数々に魂を損なうほどの憤りを感じる誠一郎。

 

 

誠一郎は己の修羅を超え、対峙せねばならなくなる。

〇〇〇〇〇〇は言う。

「人の為すことはすべて無益だ」

「無益な行為にも決着はつけねばならぬ」

 

そして…

 

 

前作は奇伝ロマンでありながら青年・誠一郎の魂の天路歴程を強く感じたが、今作はページを追うごとに宿敵・義仙と、孤独な武芸者〇〇〇〇〇〇の魂の天路に至る、もしくは遂に至れずに終わる彷徨を描く、描きたい、という作者の意志をかなり強く感じた。

 

老年にさしかかる男の魂の彷徨は辛く、苦く、憤りに満ち、時に無様でありながらこれを描かねば語り手として片手落ちになってしまう、という作者の強い意志。

これを語るためならば、小説の筋など一時投げ出してしまってもかまわない、というほころびを承知しつつ、書く。

 

そこまでして書きたかったか、というと書きたかったんでしょう、としか言いようがない。

 

ややもすれば小説を逸脱した文章のそこかしこから作者の肉声が聞こえるような文章。

 

好き嫌いは分れると思うのですが、書き手の物凄いパワーに圧倒された。

 



無垢とは白痴の同義語だ

 

槙村さとるの漫画にあったことばではあるが、なんとなくその言葉を思い出した。


人は無垢にうまれ、そして無垢ではいられなくなる。

では無垢であることは無駄なことなのか。

無駄ではないだろう。

だが、無垢であり続けようという努力は無駄なのかもしれない。

 

人は傷つき、汚れる。

しかし、無垢でなければ、真っ白でなければ汚れることすらできない。

 

傷つくことは人として生きること愛することを肯定する行為に他ならない。

愛し、傷つくのは人が人としてあるための芳醇な才能である。

傷つけられる人はその愛ゆえに傷つくが、また愛するが故に時に傷つける。

傷が深い人は愛もまた深い。

 

バルザック曰く

「よろこびも哀しみもその人のハートの大きさだけ」

 

しかしながら、傷つきながらその傷に損なわれることなく生きていくことが人としての使命そのものではないか、と。

 

 

珍しく語ってしまった…

それくらい熱い小説。

 

作者が早逝しなければ続編の構想もあったらしい。続きが読めなくて本当に残念です。

誠一郎が肥後の山中で暮らした二十五年間、そして山から下りて武蔵の高弟の肥後藩士のもとで“世間のしきたり”を学んだ半年、美味しすぎるエピソ−ドで妄想していくらでもスピンオフでつくれそうで、だれか二次創作やっていないのかなあ、とかクサレオナゴの血が疼きましたです。

 

  

 


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