
読書感想 「幼年期の終わり」 アーサー・C・クラーク著 池田真紀子訳 光文社 作者が第一部オリジナルテキストを1989年に一部リライトしてから名訳といわれた福島正美版がありながらの新訳版。 いまさらながら完読 実はハヤカワの福島正美版に取り付いては挫折していた。 〜時は二十世紀、地球上に突然現れた謎の宇宙人船団 かれらは超文明で姿を見せることなく、あっというまに地球を統治し平和な管理社会をもたらす。 かれらは何故姿を見せないのか? 彼らの真の目的は何なのか? 彼らは人類という羊のよき牧人なのか、それとも…〜 というSFの名作古典。 初出版の出だしは東西冷戦時が舞台になっているが、本版は壁が崩れた冷戦終了後が舞台に物語がはじまる。 ここがリライトされただけでもかなり作品が古臭さが無くなって要らない損を作品から取り去るのに成功している。 本作の魅力を損なうことなく一部リライトして作品そのものをリニューアルすることに成功したクラークの小説家としてのバランス感はかなりいい。 訳で言うと、福島版の訳が悪いとは言わないが、例えば幼少時「コンピューター」という言葉をはじめて聞いた時頭に思い浮かべるのは白衣を着た専門家が寄ってたかって操作する集積回路であり不気味なブラックボックスだった。 それがいまやご家庭に一台あって不思議の無いおえかきも通信もできる特に専門知識がなくても使える便利な道具である。 福島版は物語世界を読者に説明するためにあの、私がかつて「コンピューター」に感じた不可思議感を超えることができず、SFとしての世界観を校正する為の一言一句がかなり回りくどくときに訳者もわかっているのかとつっこみたくなるほど不可解感に満ちていた。1953年に発表され1964年作品初邦訳当時にはそれすらも作品の魅力でもあったのだろう。 良くも悪くも池田版にはそれが無い。 池田訳の「コンピューター」はあくまでも私が今現在知るコンピューターでありスペックが違えば性能がかわる便利な道具であってそれ以上でもそれ以下でも無い。 それでいて作品に感じる魅力は少しも損なわれていないのだ。 やはり今翻訳する甲斐のあった古典なのだろう。 なにしろ私の想像力がやっとクラークの想像し創造した物語宇宙に追いついたのだから。 |