サヨナラエラーで負けた翌日の無得点負けは体にこたえる… 「星新一 1001話をつくった人」 最相葉月 新潮社 当意即妙、ショートショートの名手でしられたSF作家星新一の評伝。 本的にはかなり読みやすい内容なはずなのだが、改行と改ページが下手。
これって作家もアレだけど編集者にセンスが無いってことなのか?
亡くなって十年以上経っての評伝であるが、ごく個人的には「まだ早い」感がなくもない。 いまだに正当な評価をされていない作家ではないかという思いが先立つからだ。 だからこの評伝? なのかなー 日本では星新一にはじまって星新一に終わっている感があるショートショート(以下SSと略)まさしく一代の名手あってこそ築かれ、一代の名手の死により終焉をむかえたといっても過言ではないと思う。 星新一の人となり、その生涯と作品とその評価を追うだけならこれで十分なのであるが、日本文学界、ひいては世界文学界のなかでのSSの位置付けと評価、SSとその作家の系譜の研究といったものがほぼ「無い」ので、どうにも評価として片手落ちの感を免れないように思う。 エアーズロックがの山容や標高を識ってはいてもエアーズロックが巨大な一枚岩であることや、その地学的形成過程を知らずにその周辺地理を識ろうとするのに似ているように。 とはいえ、売れてるが賞をとれなかったことにこだわっていた、とか、直木賞を取った筒井康隆に嫉妬したとか、1001話目で打ち止めにして作家を引退しようとした、とか、知らなかった好きな作家のエピソード満載で読んでいてそれなりに満足感あり。 自分がSFを知り初めたころ、星新一の周辺の日本SF業界がまだまだ元気だったころの逸話が多く語られているのがファンにはたまらないところだろう。 石川喬司のことばを借りれば 「漫画星雲の手塚治虫星系の近傍にSF惑星が発見され、星新一宇宙船船長が偵察、矢野徹教官が柴野択美教官とともに入植者を養成、それで光瀬龍パイロットが着陸、福島正美技官が測量して青写真を作成……。 いち早く小松左京ブルドーザーが整地してね、そこに眉村卓貨物列車が資材を運び、石川喬司新聞発刊、半村良酒場開店、筒井康隆スポーツカーが走り、豊田有恒デパートが進出、平井和正教会が誕生、野田昌宏航空開業、大伴昌司映画館ができ」 そして、SF惑星にそろそろ観光客が訪れだした――」 と日本SF黎明期を語って余りある表現をそのまた借りて表現したとしたら、 SF惑星の観光客は今でもこのSF惑星にお宮参りのごとく忘れたころに訪れるが、日参するのは漫画星雲のおとなりさんの谷川流起業家が再生させた過疎化した第三セクター状態だったラノベ星系 ということになるのかもしれない。 作品全体を通じて「人間をかけていない」とは言われはしても「下手」と言われなかった星新一って凄いなあ、と思い。 「司馬遼太郎は女が書けていない」のたぐいの難癖ですわね^^ それ以外をあれだけかけてるんだからいいじゃんか。 |