「涼宮ハルヒの消失」 一年経った今、レンタルで借りて観る気になった。 涼宮ハルヒシリーズ劇場版 有名すぎて説明するまでもないシリーズで原作も既読 ウィキによるかなりこなれのいいネタバレなしのあらすじはこんなかんじ ↓ 冬休みを間近に控えた高校1年生の冬、涼宮ハルヒ率いるSOS団はクリスマスに部室で鍋パーティを開くことを決定した。気が早いハルヒは早速パーティの用意を始め、キョンたち団員もその準備に追われていたが、事件が起こることもなく至って普通の学校生活を送っていた。
しかし12月18日の朝、いつもの通学路でキョンはクラスメイトの谷口に会い、昨日まで元気だった彼が突然風邪を引いたことに驚く。普段通りに谷口に話しかけるキョンだが、どこか会話が噛み合っていないことに違和感を持つ。
その後、本来ハルヒの席であるはずのキョンの後ろの席に座ったのは、長門に敗れて消滅し、表向きは転校したことになっているはずのクラスメイト、朝倉涼子だった。
相談のためにキョンは古泉一樹の在籍する1年9組へと向かうが、古泉はおろか9組そのものが存在していなかった。朝比奈みくるは鶴屋さんと一緒にいたが、2人とも、SOS団に関する記憶はさっぱり無くなっていてキョンのことも全く覚えていない。
茫然自失しつつ最後の砦としてキョンが向かったのは、SOS団が占拠していた文芸部室だった。扉を開けたその部屋にいたのは、眼鏡を掛け、驚いた様子でキョンの姿を見つめる「普通の少女」、長門有希の姿だった。
一体、世界に何が起こったというのか?
一度読んで内容は知ってるのに、アニメを観て上手い、と思った。 ラノベ原作なので会話が中心なので飽きさせないのはいわずもがななのだが、にわかに主人公・キョンの心理意的危機感がつのるのにあえて、淡々と、ひたすら淡々とくどいぐらいにキャラの日常動作をアニメで動かす地味な作画が効いている。 淡々とした日常を描いた繊細な画面つくり関しては青春映画をみているような気にさえなった。 美少女の萌え顔アップから細やかな美術まで画面つくりは流石の京アニ劇場クオリティ。 オチもハコも時間SFとしてもパラレルワールドSFとしても成り立つ構成の確かさは原作の堅牢さ面白さをすなおに表現できていると思った。 全シリーズを読み込んでいなくてもこれ一作で一応世界観と設定の理解ができる無理のない脚本も素直に上手い、と思った。(前作の設定を引く作品は設定の説明に時間を費やすあまり作品のテンポがわるくなることがよくある) ただ、今回作品としてあらためて作品を見返してみると、 今回の作品の(ネタバレになってしまうので一部伏字)、世界が変わった原因が〇〇〇〇の「萌芽しようとしている感情」という表現になんとなく引っかかった そりゃ「感情」というより「ストレス」だろー? と、つい突っ込みをいれてしまうのはもう自分が若くないからだろうか。 「ストレス」という言葉は美少女萌えキャラにはにつかわしくないもんなあ^^
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