「文学全集を立ち上げる」丸谷才一 鹿島茂 三浦雅士 文芸春秋社 ようするに「いまだから」「読んで面白い・読むべき価値のある」小説・文芸書・文学作品をリセットチョイスしてみよう という仮想文学大全集を編む、という試み。 いま、この世に文学全集が必要なのか? という意義。 ここで、改めて文学全集に収載するべき作品=キャノン(正典)とそうでもない作品=アポクリファ(正外典)をある程度意義付けよう、そして読んで楽しい、後世に残すべき、一般教養として読むべき文学を再定義しようじゃないか、ということらしいのですが。 昔子供を持つヲタク系友人と会話した時こういう会話を交わしたことを思い出す。 「ヲタク教育をするなら、どういう作品を子供に見せるべきか?」 友人曰く「初代ウルトラマン〜帰ウル、初代ライダー、ファーストガンダム、ハイジ、フランダースの犬、三千里程度の名劇はとりあえず見せる。子ども自身が興味を持つなら、後は本人に任せる」 要するにこういうノリで。 名劇系はアニメ見ただけで海外の児童文学が日本人の共通の話題になってしまって楽しめるわけですから見て損は無いででしょう。 で、件の三氏の鼎談から編まれる仮想文学全集はかなり膨大で、面白い。 なにしろ本のオビによると「漱石、谷崎三巻。志賀1/2巻 芥川は外してもいい」 「まさか!」 ですから。 「芥川は外してもいい」理由は中島敦が収載されていればいいでしょう、作風被ってるし、中島の方が文学的オリジナル度、完成度高いし、という意味合いのようです。 ちなみに菊池寛は「真珠夫人」だけでいい(笑)そうです。 「恩讐の彼方に」も「藤十郎の恋」もなしですか。うーむ。これは菊池寛を文芸春秋社を立ち上げ、直木賞、芥川賞を創設した文学界、出版会の功労者、としての位置づけを重く見る、ということらしいです。 こういう考えもあり、でなかなか興味深いです。 外国文学の詩や日本の古典はパラレルテキスト(対訳つき できればページの上段に原文、下段に訳文)というのに激しく賛成。後ろの注訳を一々めくらなくて済むのはかなり読む気がでるし。 詩は原文が解らなくても、韻を踏んだ原文を目にするだけで韻文の美しさを観賞できるはず。 (できれば海外の詩は原文を朗読したCDブックなど付録につけて欲しいところです) 今現在アニメ、マンガはサブカルとして位置づけられ、特にマンガは日本の文化、とは認めてもらいづらいのが現状ですが、なに、千年前はあの「源氏物語」だってひらがなで書いた・小説=サブカル(当時の「文化」は漢文で書かれた文章)だったわけですから。 あと百年くらい経てばアニメ・マンガもこういう「全集」が編まれ、後世に残したいものを新たに再定義されるんでしょうか。 「海のトリトン」はキャノンかアポクリファか? 私にとってはキャノン、ですけどねえ。 |