現在、戦前、戦中の記録物の本を読んでいるんですが、話として、当然出てきます。 「千人針」 弾丸除けとして女子が出征兵士に持たせたお守りアイテム。 晒し木綿にフレンチステッチを一人一針、千人にステッチしていただく。 弾丸除けとしての物理的機能多分ほぼ皆無。MP不明。 が、気になるのはこのアイテムの「その後」 帰還した兵士は、この千人針を持ち帰ったのか? 持ち帰ったその後千人針はリサイクルされ、ただの布になったのか? それとも満願成就アイテムとしてしかるべき寺社でお焚き上げされたのか? とりあえずインターネットで調べる限り、「その後」は不明。 こうなると好奇心が先走ります。 (どうも私はトリトンの「その後」をこんなにしつこく書くくらいですから、追跡調査めいた行為に燃えが入る性のようです^^) 居ても立ってもいられず(かといって中腰になるわけでなく) さっそく昭和ヒトケタ婦人(別名・実の母)に電話にて聞き取り調査。 で、結論からいえば「わかんないのよねえ」 だそうです。 そもそも、出征して戦死しなくても、捕虜にされれば収監先で私物を取り上げられることは稀ではありません。 ましてや苛烈な戦場の話。出征した兵士たちは明治のオトコ達。寡黙な人種なので、持たされた側の口からその手の話を女子供に語り継ぐということは、ほぼ無かったようです。 (母の父は二度出征して、二度帰還している。恐るべき強運! この強運が何故私に博才として遺伝しないのか。それはおいといて。) そして、持たせた女側の証言。 母が言うには「あたし千人針ってやったことないかもー」 そうですか。 「だって、あたし太平洋戦争開戦時、かぞえで十だし〜」 記憶が薄れてる上に、子供なりの物思いが優先されることもあったでしょう (腹減ったとか、おねえちゃんがかまってくれないとか) そして、さらに貴重な証言。 「千人針って記憶からして、怪しいのよね。国営放送の朝の連ドラで疑似体験してるだけかも〜」 おお、ナルホド!知らず知らずメディアに刷り込みされていた可能性あり?? 時代の証人から意外な証言がいまここに。 とりあえず母に聞き取りしてわかったのは「わからない」ということだけでした。 今後、地味な調査を折にふれてして行きたいと思います。 ところでネットで調査したところ弾丸除けアイテムとして「五銭銅貨」をもたせた、という地方もあったようです。 死線=四銭を超える、という意味のようです。こっちの方が気が利いてるかも。 もっとも五銭で死線を越えても、三途の川を渡るには六(文)銭要るんですが。 お年玉つき年賀葉書の結果。切手シート一枚すら当りませんでした。残念。 |