クロゼットの再点検をした。 衣替えには早いのだが、季節の変わり目。 ブラックフォーマルが急に入用になることがあるので と、始めた所ブラックフォーマルのジャケットのみ見つかって、スカートが見つからない、という大異変に気付く。 黒い服の組み合わせなら幾らでも効きはするのだが、場所が場所なら形は平凡にしくは無し、ということもある。 あわててジャケットの対の一張羅のドスキンの黒のタイトスカート・膝丈を探しにクロゼットをかき回す羽目になる。 「ボウ・ピ−プ 羊がいない〜」 と、失せもの探しのまじないを唱えるように、マザーグースにデタラメなメロディをつけて みどりの、じゃなく洋服の肥やしの牧場のなか、迷子の子羊ならぬ、迷子の黒子羊を探し回る。 それにしても、着なくなった服の多いこと!多いこと!多いこと! ドレススーツ、スカート、ワンピース う〜ん最近着てませんねえ・・・ でも、どれも気に入って買ったものなので、処分できない。 二十年前の親に買ってもらった肩パッドのぼっこぼっこ入った服ですら、仕立てが良いし、二十年して流行もぐるっと一巡りした様子も気になる、で捨てかねる (クロゼットの中からI.Sの白地に藍の小花模様のコットンののワンピース発見! 「大草原の小さな家」のローラ・インガルスが着ていたようなデザイン! 母親は私をファンシーな娘に育てたかったようです。ごめんよ、ママン) 二時間後、迷子の黒子羊ちゃん、無事発見。 そういえば、ジャケットの脇詰めリフォームをリフォームショップに頼んだとき、バラにしていたことをすっかり忘れていました。 ジャケットの直しが上がってきたときのリフォームショップのビニールカバーのロゴをみて、やっと思い出し。 葬式や法要のたびに思う。 あれは死者の魂を鎮めるための儀式なんかじゃない。 あれは、生きている人間が 「あの人はもういないんだよ もう ここにはいないんだよ」 と何度も何度も認識して、頭と体に「あの人はもうここにいない」ことを刻み付ける為の儀式なんだよなあ、と。 悲しみも通り越すと涙も出なくなってしまうけど、きちんと泣かなきゃ、自分の脳が故人の死を認識できない。 認識できなきゃ、悲しみは薄れない。 悲しみが、懐かしい思い出に薄らいでいって、悲しみを共有した人たちと、いつかは笑って思い出話ができるようになるまで法要や儀式をしつこいほど繰り返す。 だから、葬式ではきちんと泣いたほうがいい。 そして、誰も泣かない葬式はもっと悲しい。 誰一人、御座なりな涙すら浮かべないほど、故人は愛されてなかったのか、と。 |