「茶席の禅話(上・下)」 西部文浄 タチバナ教養文庫 なんとか読了 コンパクトな禅話の本。茶席のみならず、書画、骨董観賞の知識にもなるので読んでみたかった。 いやあ、禅問答って本当に禅問答なんですねえ。 文中 「丙丁童子来求火(へいていどうじらいぐか)」 という言葉がありました。 直訳すると「丙丁童子(火の神)が火を探し求める」という意味だそうです。 さるとき玄則という和尚が、所属している清涼寺で一向に参禅しない。 そこで法眼(お寺さんの一番偉い人ね)に問答にされた 「如何なるか是れ仏(仏性とは何ぞや)」 と問われ、玄則 「丙丁童子来求火」 と答えた。 要するに人は既に生まれながらに仏性をもっている。火の神が火を捜し求めるように、持っていると知りながら捜し求める。が本当に探しているものはその身の裡にある と。 玄則は、清涼寺に来る前青峰禅師の寺で、この公案で悟りを得たので、参禅しないのだといんですね。 そこで法眼、玄則に「それが悟りか?」と叱りつけ、寺を追い出します。 追い出された玄則、一旦憤慨しますが、叱り付けられた事実と、悟りの意味をもう一度自問自答。 そして、玄則くん、清涼寺に再び舞い戻り 「如何なるか是れ仏(仏性とは何ぞや)」 と法眼に問うたとか。 すると法眼 「丙丁童子来求火」 と答えた。 そのときやっと玄則は大悟(悟りを得た)した、とか。 要するに理屈だけで解ったつもりになるな、理屈の前に常に謙虚であれ という教えらしいんですね。 そういえばメーテルリンクの「青い鳥」もチルチル・ミチルの家にはきれいな青い鳥がいるのはもとより知っていたことでしたが、魔女のベリリエンヌおばさんに「青い鳥」を探してきておくれ、といわれて青い鳥を探しに行く旅をしなければ「幸せとは」ということに思い至らなかったんだよなあ 幸せを求める とは どういうことか というテーマは洋の東西変わらないんですねー |