今日はモーツアルトの命日だそうで。 バーンスタイン指揮の「レクイエム」をBGMに更新しています バーンスタインのレクイエムはアカルイ ハリウッド映画みたい いや いい意味で 「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」 村上春樹 柴田元幸 文芸春秋社 「ライ麦畑でつかまえて」 白水社から野崎訳があるにもかかわらず村上版翻訳を依頼された 村上春樹のまさに「翻訳戦記」 とりもなおさず 翻訳作業を通しての村上的「キャッチャー・イン・ザ・ライ」 への再評価 各時代を通じて 「感性のリトマス試験紙」 とみなされてきた(著者がそう看做しているという意味では決して無い というところが超ビミョー) 作品がある、と村上氏は語る 時にそれは 太宰治 であったり 「星の王子様」 であったり 「キャッチャー・イン・ザ・ライ」 であった、と村上氏は居住まい悪そうにこそばゆそうに語る (今ならエヴァ かなあ?そりゃたしかに、こそばゆいや) 同じ原作で翻訳者が違う出版物を同時代読めるということはめったにないので 私も村上版出版を機会に野崎版と読み比べてみたんですが これが違うんですよ!!! あきらかに訳者が表現したい 「力点」が違う まるで 同じワインを 違うワインオープナーで抜栓したようなかんじ ワインの中身=「作用点」「支点」はおなじなのにねえ! 野崎訳は「無垢な少年の魂の疾走感」に力点を置いているとしたら 村上訳は「無垢故の少年の絶望、無力感、苛立ち、絶望、焦り」に力点を置いている 「がけっぷちのライ麦畑(魂の原風景)で遊ぶ子供のキャッチャー」 になりたい と思ったのは主人公ホールデン・コーフィールドではなく本当は村上春樹氏なのかもしれません ところでこの翻訳はアニメ「攻殻機動隊SAC」の発表とほぼ同時なのだが 「攻殻」の最終話で、素子がアオイに 「情報の並列化の果てに個を取り戻すための一つの可能性」 を見つけた、というその「回答」が 村上氏の 「傷つけられた(もしくは勝手に傷ついた)袋小路のイノセントな魂が袋小路から抜け出でる可能性」 が相似していたのは 神山監督と村上春樹が同じものを追い続けて 同じような「解」にゆきついた 偶然 なんでしょうね と思いました。 |