昨日はパ・リーグ開幕戦 札幌ドームでも日ハムがロッテを迎え撃つ開幕初戦でした。 開幕セレモニーからずっとテレビの前に座って見ていましたが スモークでて、ワキから日ハムの選手がわらわら〜っとグラウンドのうえに出てきたとおもうと 円陣組んで、エール! いや、みんなかっこいいのなんの 惚れ直しました^^ 日ハム先発投手は当然の如くダルビッシュ この日は立ち上がりが物凄くよく、いい投球内容でした。 結局開幕初戦、完投、完封 1−0 で初日勝利! ロッテの応援団の横断幕に「今年も一緒に優勝争いしようね!」 みたいな横断幕多々。 「強敵」と書いて「友(とも)」と読むみたいな 応援するファンを含めた球団同士の友情みたいなものがあるのも昨年、熾烈な優勝争いを繰り広げたもの同士だからかな、みたいで胸と目頭が熱くなりました。 土日、後二戦札幌ドームで開催されるあと二試合、ロッテ側の応援席ならまだ若干残っているそうですが ロッテ席に座ったら覚え易くてかっこいいロッテ応援が癖になるかも^-^; とかチケットも取ってないのに心配になってしまいましたよ。 (アメリカ人監督ボビー・バレンタインに敬意を表してか、「ヤンキードゥードゥル」のサビのメロディで「ろーって ろって ろって ろーって〜〜♪」 とひたすら「ロッテ」と繰り返すロッテ応援があってめちゃ覚え易くてカコイイ) 観客席にサエコ夫人(ダルビッシュの奥さんね)が来ていたようで 目撃証言によると 「いまにも出産しそうなくらい興奮していた」 そうです。元気な赤ちゃん生まれるといいですね。 「読書」 「まぶらいの島」 竹内紘子著 くもん社 児童書です。 不登校で引きこもりになってしまった少女ひろみはネットとメールだけが外部と自分を繋いでいる 煩わしい口うるさい祖父母。 父は死亡し、母は自分を捨てて母の生まれ故郷、奄美大島の加計呂麻島に行ってしまった。 そんな時にメールの伝言ボックスで知り合ったメル友、「ケン」からホスピスのある自分が住んでる南の島にこないか、と誘われる。 その島こそ母のいる加計呂麻島だった・・・ という出だし 大自然に癒される不登校少女の心、とかこじれた親子関係の氷解、とかベタでわかりやすい展開にならないところがこの作者の一筋縄ではいかないところか。 コミュニケーションを欲しながら、伝言ボックスのメールに 「よかったですね」とだけ返事をしてやり取りを打ち切ってしまうことで鬱憤を晴らしているひろみのディスコミュニケーション、というひろみのディティールが上手い。 自分を捨てて故郷に帰って来た母は、夢男君な亡くなったひろみの父や舅や姑に嫌気がさして、あんなに毛嫌いしていた息が詰まるように思っていた生まれ故郷の心の絆に癒された、とひろみに語り、詫びるのだが これってたんなるひとりよがりなんじゃ?と思ってしまう 自分だけよきゃいいのか、生活に疲れりゃ子供はどーでみーのか みたいに思える母親の半生でもあるのだが もちろん、どうでもよかったわけでなく、子供を引き取ろうとした、など語られはするもののこの母親にもう少し実行力があれば解決されていたんでは?とか思えてしまう (解決されたからって関係者全員ハッピーになるわけではないだろうけれど) とはいうものの、人生に疲れた人は何に癒されるのかわからない かつての煩わしさが慕わしく懐かしく感じられ、温かく心を包んでくれるときの安らぎ、というものは多分あるんだろうなあ。 物語りは結局一見何も解決しないで終わる が、問題から逃げずに解決しようと問題に向き合ったとき人は人はかなり成長しているんだから いやになったらまた逃げることはできる、それも一計というオチどころは児童書とは思えない深みのあるオチ。 物語りのテーマを語る上での「核」になる台詞が無いので読後感、インパクトにかけるのが惜しまれる。 タイトルに使われている「まぶらい」とは加計呂麻の言葉で「護られる」という意味なんだとか 島のおばさんの台詞 「島は人そのものよ。人はみな大海原で暮らしとる。さびしいもんど。けど、護られとんど」 だれに、とひろみが問う 「魂ど。人は生まれやがて死んでいく。けど、魂は残る。残された人の心の中でその人をまぶらっちょるど」 護られているからって奇跡が起きるわけでも幸せになれるわけでもないけれど、護られている、と思えたとき人はディスコミュニケーションは解消されつつあるのかもしれません。 |