最近夫にメディア移植をまかせっぱなしだ。 やっと「無敵鋼人ダイターン3」の移植終了 亡き鈴置さんと井上遥さんの声にひたりつつ、最終回を鑑賞。 痛い作画も穴のあるシナリオも承知の上だが、何度見ても飽きない。 最後のの出撃。 晩餐までに帰るというわけにはいないな、というイカした万丈にランチの用意をいたしております、という小粋なギャリソン。最後の出撃を見送り、ふと寒さに襲われたように衿を立てるレイカに「未練よ」というビューティー。 レイカに似つかわしい台詞なのだが、ビューティーのほうが万丈との付き合いが長い、ということを台詞一つで解からせてしまうのが凄い。 そして万丈最後の台詞 宿敵・ドン・ザウサーとの戦いの果てに吐く 「正義の反対は悪ではなく、もう一つの正義だったのだ」 という富野監督の好んで取り上げるテーマのなかで 「僕はいやだ」 認識から、現状から、あらゆるものに抗う万丈 万丈は「オレ」でもなく一人称が「ぼく」のキャラクターだったんだなあ、と再認識。 万丈はいつからか「ぼく」という一人称の万丈の「むきだしの個」だけで抗っていた この抗いは無力だったのか ストーリーは敢て答えを提示しない。 そして「チーム・万丈」の解散 「だってすむ世界が違うんですもの」 のレイカの台詞に集約される妙にべたつかないまるでビジネスだったかのごとくさっぱりした別れ際は今見ても新鮮だ。 そして家具に布をかけられ、門を閉ざした万丈邸の窓には暁の光か、はたまた灯火かが映る・・・・ 死んだとも生きているとも語られない万丈は消失した如くだ。 明るい演出のなか、とことん主人公に救いがないのが凄い。 主人公を産み直してやれるだけの母体はこの作品には最初から存在しない。 主人公の再生、それは後年、「機動戦士ガンダム」のアムロの 「僕にはまだ帰れるところがあるんだ」という台詞を生む世界に引き継がれる。 ホワイトベース脱出時、平凡で優しい日常、というものを体現するキャラクター、フラウ・ボゥにアムロはテレパシーで語りかける 「僕の好きなフラウ・ボゥ」 孤独な少年の魂をいつもあたたかな優しさ、女らしい温みという日常に引き戻してくれた幼馴染の女の子に柔らかな感謝を込めて「僕の好きな」と彼女だけにいう。 そして少年は現実に帰還する。 これらのキャラの源泉にトリトンはいるんですねえ・・・・・・ |