「バッテリー」 あさのあつこ著 角川文庫 漫画化も映画化もドラマ化もした児童文学のベストセラー。 いまのところ三巻目まで読了 この春から中学生という孤高の天才ピッチャー原田巧(たくみ)と、どこにでもいそうでいない中学生キャッチャー永倉の“バッテリー”の物語り。 孤高の天才・美少年・両親との折り合いが悪い などというてんこもりのキャラが浮かないキャラ造形がいい。 巧の孤高は自分の天才と視野狭窄的なほどの野球への情熱に誰もがついてゆけない孤独でもるのだが、他人の価値観を認めないゆえの孤独でもある。 なれあいなんてごめんだ 訳のわからない押さえつけられるような規則もごめんだ べちょついたおしつけがましい共感や好意なんてもっとごめんだ と 時に生みの母からも理解されず、母親の手を振り払うほどの純粋、矜持、孤高。 (ここでダルビッシュの子供のときってこんなんだったんだわ、とか萌えてみたり) そこに女房役のキャッチャーの永倉が巧の「孤高」のウチワケを理解しようとしながらチームのために投げる、などということはしない、点なら取られないんだから、などとほざく(実際概ねそうなのだ)巧の天才っぷりを認めつつ、野球が好きだから、「チームのため」といえるキャプテンの海音寺のリーダシップや、いじめや脅しにあっても野球が好きだから止めないできた永倉の幼馴染の沢口の弱さの中の強さ、といった人間性を認識させたい、こんな巧だから認識させたい、と自らキャッチャーとして成長しながら巧の天才と野球をしていく。 教師のみていない裏で巧に暴行する陰湿な野球部の先輩、展西のキャラ造形がいい。 野球は嫌いなわけじゃない、勝ったらそれはそれで嬉しい だが、内申を好くするために野球をやって、学校が、両親が、教師が、監督が、望む「いい子」であることを選んでしまった展西には巧の自己中っぷりと恐れを知らぬまでに映る自己主張が憎くて仕方が無い。 最後には自分の屈折を何もかも暴露した挙句、巧に好きだけで、才能だけで続くわけが無い、お前の壊れるさまを見てやる、見届けてやる、と言葉を叩きつける。 この挑戦状は主人公に向けられたもののみならず、作者が自らに叩き付けた挑戦状であると同時に読者に対する問いかけだ。 果たして「好きだから好き」が如くの情熱だけで決まりだらけの世の中を渡っていけるものか いずれ自分が、自分の限界が、この世の不条理に膝を屈する時がくる この世のなにもかもを平和裡に収めさせているようにみえながら膿のような毒をふき出し続けて「個」を蝕む「常識」や「当たり前」が、自分の情熱や意志ひとつでどうにかなるものか。 いや、そんな筈は無い、と反語のようにこの問いかけは繰り返される。 読んでて、ちばあきおさんの「キャプテン」の墨谷二中と青葉学園の再試合のクライマックスを思い出してしました。 続巻はこれから読むので楽しみ♪ |