「紫苑物語」 石川淳著 新潮社 短編集にはいっていた小説。 リンク先さんの「SF名文句・迷文句サイト」さんの別館「ファンタジー名文句」で紹介されていた小説。 昔、都の歌の家に宗頼という男がいた。 宗頼は生まれついての歌の上手で五歳の時にはいっぱしの歌を作るまでになって父を唸らせ、この子もまた勅撰集の選者となって家門の誉れになるだろうと思わしめた。 七歳のとき作った歌を父に見てもらったとき、語句に一箇所朱を入れられ添削された。 父が添削した箇所は宗頼がよいと感じた語句を採らず、これはどうか、と感じた語句を採った。 宗頼は自分の短冊に指された朱を父の顔にくまどるが如く塗りたくり、ふっつりと歌の道を絶ってしまった。 案じた父親が権門の門戸をつたって醜く白痴同然の高貴がとりえの淫蕩な姫と宗頼を娶わせて女色で家につなぎ止めようとするが逆効果に終わる。 歌を絶ち、代わりのように弓にのめりこんだ宗頼は修錬たゆまず弓の上手と謳われるようになるが、何故か宗頼の放つ矢は獲物の陰一つ射ない。 しかしてある日、獲物の陰が走ったと感じた時、一匹の子狐を射てしまう。 宗頼は射た子狐を主にささげんとした下人をも射殺してしまう。 爾来、宗頼の矢は狙った獲物をことごとく射止めるが、宗頼の物思いは収まらない。 ある日、宗頼は家人の制止も聞かず領内の隠れ里のごとき里に踏み込む。 そこは貢以外労役を課されない人の里だった。 そこで貢以外はただ山の頂の岩岩に仏を彫るのが仕事だという平太という自分に似た顔の青年出会う。 平太の彫った仏のもとにはわすれ草が群れ咲いていた。 それからというもの、宗頼の行動には一層加虐が増し、白痴の妻の間男、気に入らぬ家人ことごとく射殺してしまう。 だが、射殺した者を埋めたもとに紫苑を植えさせる。 宗頼は言う。 「紫苑はわすれぬ草じゃ」 作中宗頼が言う。 「平太はわしじゃ」 歌を作って選ばなかった語句の如く、選ばなかった、あるいは選ばれなかったもう一人の自分だと。 切り捨てたもう一つの可能性を渇望するでなく、蔑むでなく、冷たくみつめる宗頼。 ラストが秀逸 〜月のあきらかな夜、空には光が満ち谷は闇にとざされるころ、その境のはなに、声がきこえた。何をいうとも知れず、初めはかすかな声であったが、木塊がそれに応え、あちこちに呼びかわすにつれて、声は大きく、はてしなく広がって行き、谷に鳴り、崖に鳴り、いただきにひびき、ごうごうと宙にとどろき、岩山を越えてかなたの里にまでとどろきわたった。とどろく音は紫苑の一むらのほとりにもおよんだ。岩山に月があきらかな夜にはここは風雨であった。風に猛り、雨にしめり、音はおそろしくまたかなしく、緩急のしらべおのずからととのって、そこに歌を発した。なにをうたうとも知れず、余韻は夜もすがらひとのこころを打った。ひとは鬼の歌がきこえるといった。 |