「山上宗二記 付 茶話指月集」 岩波文庫 熊倉功夫校注 「山上宗二記 入門 茶の湯秘伝書と茶人宗二」 角川文芸出版 神津朝夫著 讒言によって惨殺された利休の高弟本音言いで命を捨てた、茶人宗二の遺した茶道の入門〜奥義書。 素人にわかりやすく玄人に深い(と、思う)。 そもそも利休は茶道論を説くような高圧的なことをするのを嫌ったという。 しかし宗二が利休に問うたときかなり明確に回答している。 本音トークでのみしか話さない宗二には本音トークで話すのが弟子とはいえ、宗二に対する礼儀だと思ったのだろう。 〜客人振りの事。大かた一座建立にあり。条々密伝これ多し。一義初心のため紹鴎語りおかるる也。但し、当時宗易嫌われし候。端々夜話の時、珍しく申し出され候。第一、朝夕寄合いの間なりとも、道具の披きまたは口切の儀には申すに及ばず、常の茶湯なりとも路地へはいるから立つまで一期に一度の参会の様に亭主を執して威ずべき也。公事の儀、世間の雑談、ことごとく無用也。夢庵狂歌に曰く、 我仏 隣の宝 婿舅 天下のいくさ 人の善悪 この歌にて分別すべし。茶湯雑談、数寄に入りたる事は話すべし。兼ねてはまた、茶の立つ前は無言。次に亭主振りの事。客人を底には成るべき程執するなり。貴人・茶湯の上手の事は申すに及ばず、普段寄り合う衆をも名人の如く底には思うべし。〜 ここで面白いとおもったのは利休は「一座建立」、要するにコミュニティのためにある茶の湯を嫌っていた、ということ。 会員制クラブのような人付き合いを趣味でをずるずる続けるようなことを嫌ったのかもしれない、と思うと凄く共感する。 リアルでの、引いてはチャットでの人付き合いの仕方にも通じるものがあるかもしれません。 人にもよると思いますが。 この言葉の裏を返せば、当時の茶人は堺衆=政界とのコネクションもある豪商 でもあったため、茶室はナマグサイ戦争の話からいくら儲けられるかなどというエゲツナイ商談だったりする事は当たり前の密室だったということだろう。 茶室のにじり口はくぐって入りくぐって出る。 出る時に首を落とされるなぞということは想定の上だったのだ。 茶室をでたらそこは俗世、だから俗なことを茶室に持ち込むべきではない、という美意識ですね。 (だがしかし、上記のように宗教・財産・商談・政治談議・ワルクチを含めた人の噂話・これ以外に何を話せばいいんだ、という人のために茶の名人上手の挿話をまとめた「茶話指月集」が編まれたという。しかし出していい話題のテンプレートにのっとって会話するだけ、というのではよほど話題が豊富で話し上手でないと会話が続かないだろうなあ) 「山上宗二記入門」の著者、神津氏は正月本・二月本を比較・研究を重ねて、宗二が利休より先に二畳の茶室を考案したり楽茶碗を使用していたが、客や時に応じて使用しない方がいいと結論付けていた、という一文は元来の「茶人・宗二」感を覆すに十分でした。2700円の価値はあると思うが茶道具の記述は写真がないと解かり辛い。本の価格が倍になっても、ここはやはり現存するものだけでも写真を入れて欲しかった 以前、宮崎駿の「崖の上のポニョ」の絵コンテ集を読んで、映画を観ているようなダイナミズムを感じた時、人はこうまで自分の意思を明確に的確に赤の不特定多数に指示することができるのか、と思ったとき、宮崎駿は天才じゃない、天才肌の職人だと大塚康生さんが著書で書いていたのをふと思い出した。 天才という人物はいったい自分で何をしているか判っていないし判ろうとも思わない、それでいて判る必要が無いと思わせる作品を創造する。 だから自分でやっていることの説明ができない。だから本来説明しない。 モーツアルト、ダ・ビンチ、ランフランコ・デットーリなんかがそうだろう。 とするとここまで自分の本音をわかりやすく述べることが出来る利休は名人ではあっても、天才ではなかったのかもしれないなあ。 |