
「俳句は下手でかまわない」 結城昌治著 朝日新聞社 心温まるタイトル^^ 今は亡き推理小説作家結城昌治氏の手による俳句鑑賞エッセイ。 古今の秀句、名句から仲間内の句会の句まで様々に収録されていてほんとうに肩のこらない俳句読本に仕上がっています。 しかし、この「下手でかまわない」はかつて久保田万太郎(立ったと思うんですが)「俳句は月並みに限る」とかいったといわれている通り、このフツーがなかなかクセモノなのである。 この境地にたどりつきつつしかも平易な言葉を使って目の前の何かを五・七・五に収め佳い句を詠むのにはそれなりの努力とセンスが要る。 五・七・五に収めるそのセンスは、といえば諧謔であり含羞であり余韻であり思いやりや察しというところの古典的日本の美意識である。 芭蕉が門人に言ったとおり「いいおおせてなにかある」のである。 ビジネスシーンならいざ知らず、言い尽くしたから、表現の限りを尽くしたからといって「何か」が伝えられるわけではない。 むしろ言外に感じる感情に人は心揺さぶられるときがある。 これが俳句という言葉遊びの楽しいところであろう。 本書で著者が例を挙げるところでは 「降る雪や 明治は遠くなりにけり」草田男 「獺祭忌 明治は遠くなりにけり」志賀芥子 この二句を比べてやはり草田男の句に軍配をあげてしまう。 獺祭忌(だっさいき と読むのだそうです)は明治の俳人・正岡子規の忌日九月十九日。いかにも明治を偲ぶのにふさわしくあるようだが。 いってしまえばふさわしすぎなのだろう。 マンガやアニメのきめ台詞ならこれくらいベタのほうが逆にいいかもしれないが、五・七・五のなかではあまりはっきりというのはやはり美しくないのだ。 余韻を残してもう戻らないなにかを心の片隅で偲びそっと嘆息するその心持ち、その心象風景にはやはり「降る雪」のほうが相応しい。 其角の名句 「夕涼み よくぞ男に生まれけり」 もまた同様ですね。 この「夕涼み」が「夏祭り」では余情も諧謔モヘッタクレもなくなってしまいます。 あまりにもあけすけなのです。 男の夕涼み、尻端折り、襟をくつろげ、あぐらをかいて縁側で団扇でで胸元をあおぐあの気持ちよさ、爽快さ、だらしなさの快楽はまた女では詩になりえない。 それが、十七文字でニヤリとさせられる面白さを生むにはやはり「夕涼み」で「男」でなければならんわけです。 枚挙にいとまない俳句談義にわかりやすいコメントをはさみながら、自らの句会で歌仙を巻く (【歌仙】 かせん goo辞書 (1)和歌に優れた人。「三十六…」 (2)連歌・俳諧で、長句と短句を交互に三六句連ねたもの。 懐紙(歌懐紙)二枚を折って用い、一折目(初折)の表に六句、裏に一二句、二折目(名残の折)の表に一二句、裏に六句書く。芭蕉以降盛んに行われた。 連句が際限なく続くのも困るので、基本的な形式が「歌仙」と称され、三十六句で区切りをつける。これを「歌仙を巻く」という。 ) のに丸三年かかった、などという笑い話が時に挿入され、飽きさせない本です。
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