
「偽書作家列伝」 種村季弘 学研M文庫 主に西洋の偽書、要するに捏造模倣文学作家列伝 古くはホメロスから新しいところではシェイクスピアの未発表原稿、有名人の書簡まで捏造。 かなりの知識と手間隙のかけ方が無いと出来ない捏造文学。 作り手の熱意に思わず頭が下がるほどであるが、所詮は出来の悪さが露呈してお手手に縄。 ちまちまコミケで売る程度ならかわいいものであるが規模がでかくなればそれは犯罪なのである。 本書の末尾のオリジナルとまかり通っている実は「偽書」ってあるのかもしれないよ、という結びは小気味いい。
上手く騙されるなら騙されてもしょうがないか、と苦笑する筆者と高笑いしているかもしれない偽書作家の顔が目に浮かぶようだ。
この「犯罪」をかなり上から目線でばっさばっさと偽書作家を切っては捨てる筆者の文章がいっそ爽快なほど。 このあたりなんかもう、痛快爽快なんで引用してみた。 「偽書問題はその行き着くところ、大方は偽書をして偽書たらしめるところの試金石たる「本物の本」、「唯一の本」は何か、という問題に帰着せざるをえない。ヨーロッパであればそれは聖書であり、東洋ならば経書と相場は決まっている。極論すれば、この唯一の本以外はすべて偽書であり、剽窃なのだといっていいかもしれない。」 … なんかなあ、笑っちゃいかんのだろうけど笑えます。 言い方を変えれば 「オリジナル、オリジナル、いうけどそのオリジナルってどっから来たんだ言ってみろ、そりゃ何からも影響を受けずに書けりゃオリジナルって言い切っていいだろうけどさ、片腹痛いんだよ。本家の尻尾が見える自称・創作なんてさ、それって要するにパロディでしょ」 ということだ。 アニメの二次創作をする私は黙って頭を垂れるしかないのであった。 でもやりたくなるんだよねえ。 この手の偽作が絶えないのはこれが多分オリジナルへの愛が空回りした結果なんだから。 愛があればなにもかも赦されるれけではないけれど、二次創作は愛でしょ。 採算度外視した手間隙をかけるのがその証し(笑) 以前、「結局紆余曲折を経てボツになったらしい辻真先の未発表『海のトリトン』アニメ脚本」という体裁でシナリオ捏造二次創作しようかと思ったけれどやらないでよかった。 私が書くものだから出来が悪いのはしれているが、すぐ本気にするオールドファンが怖い。 |