「小説 太宰治」壇一雄著 「太宰治に聞く」井上ひさし(こまつ座編・著) かつて「たった一つの冴えたやり方」というSF短編小説があって、内容よりもタイトルのほうが気に入っている。 而して「たった一つの冴えないやり方」というものはあるだろうか? 自殺した文士は数多いが、この女と入水・心中自殺した太宰治の死に方ほど無様に思われている自殺も無いのではなかろうか。 (対極として自作自演の「三島劇場」で割腹自殺した三島由紀夫の死を挙げたいところだが 死に冴えるもさえ無いも無いか?) 著作を読むよりも、あえて外堀を埋めるやり方でこのささやかな疑問に向き合ってみたくてのこの二冊の読書。 前者は同時代人で友人だった壇一雄の語り口で綴られる。訥訥と無骨で友人を失った悲しみを咆哮するような文章は、壇一雄の人柄というフィルタを通して一連の事実が語られることで、証言または単なる回顧録に成り下がることを救っている。 後者はユ−モアに満ちた井上ひさし氏の太宰治との妄想対談。太宰の生涯を扱った戯曲「人間合格」の為の取材記録でもあり、逆算するように入水自殺に至るまでの太宰の性格を分析を通じて、太宰の人生を分析するかのような構成に、戯作者を感じた。 ここからは私見。 上記二冊を読んで、友人Iさんと、とある共通の友人の死について語りあったことを思い出しました。 私たち二人が死んだ友人の死に寄せた感想は 「あれだけ むき出しで生きるのは さぞかし痛かっただろう」 だった。 太宰という人もそうだったに違いない。 なにしろ、自分のむき出しの感性、その赤剥けになった粘膜質よりも痛そうな部分で人の感性に体当たりして挑んでくるのだ。 挑む人間は無論だが、挑まれる人間もエネルギーの要る事だ。 だが、それしか生きる術を知らないかのように、生き方を変えない。 往時を知る人は観るも痛々しかったことだっただろう。 太宰の死に至るまでの生涯も 死んだ私たちの友人の生涯も 冴えない生き方で、冴えない死に方だった、のかもしれない。 だが、それは本人が望むと望まざるとにかかわらず本人が選んだ、のたうってのたうって自分自身を生きる生き方 「たった一つの冴えないやり方」 だったのではないだろうか と。 |