「日本の鶯 堀口大學聞き書き」 関容子著 角川書店 昭和五十年代、たまたま丸谷才一と堀口大學の対談に同席するまでは一記者でしかなかった著者が堀口大學のファンになってしまい、明治の文壇から交遊録、ルーツにまつわる思い出、詩作論、よもやまばなしを聞き書いたエッセイ集。 新潟生まれの外交官を父に持ち、東京は本郷に生まれる。大學、という名前はここから由来する。(本名だったんだー) 与謝野寛、晶子夫妻に入門し、私淑し、慶応予科で生涯の友人となる佐藤春夫と出会い、父の勧めで外遊。 ヨーロッパで 画家のマリー・ローランサンに可愛がられ交遊する。 昭和初期にフランスではよほどの文学通じゃないと読まないといわれていたほど評価の低かったという(!)コクトーを翻訳して日本に紹介。 シャンソンになったアポリネールの「ミラボー橋」は詩を見ればああ、と思う方も多いことでしょう。 (私は萩尾望都の「この娘売ります!」でヒロインのドミニクが口ずさんでいたシーンを読んで初めて知りました) 「ミラボー橋」 ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ われらの恋が流れる わたしは思い出す 悩みのあとには楽しみが来ると
日も暮れよ、鐘も鳴れ 月日は流れ、わたしは残る
手に手をつなぎ顔と顔を向け合はう かうしていると われ等の腕の橋の下を 疲れたまなざしの無窮の時が流れる
日も暮れよ、鐘も鳴れ 月日は流れ、わたしは残る
流れる水のように恋もまた死んでいく 恋もまた死んでゆく 生命ばかりが長く 希望ばかりが大きい
日も暮れよ、鐘も鳴れ 月日は流れ、わたしは残る
日が去り、月がゆき 過ぎた時も 昔の恋も 二度とまた帰って来ない ミラボーー橋の下をセーヌ河が流れる 日も暮れよ、鐘も鳴れ 月日は流れ、わたしは残る どの項も非常に興味深くまた面白いのだが芸術論として詩人日夏耿之介との仲違いとエロスと芸術論ともいうべきあたりがなかなか面白い。 要するに堀口大學というひとは調べのいい歌を詠むばかりではなくかなりエロティックな歌を読む人だった。 人に膾炙された名詩はともかく、人前で朗誦するのはためらわれるような詩も発表しており、そこがお下劣だと日夏耿之介には厭われたらしい。 なにしろ西条八十、日夏耿之介と三人で発行していた同人誌(豪華執筆人ですねえ)が自宅に届いた時開封時、日夏耿之介は堀口の書いたページだけ油紙で包んでから雑誌を開いた、といいますから。 (今で言えば読みたく無いからその部分をホチキスで閉じてから読む、みたいなもんですか、大人気ない。後日、日夏本人に堀口大學が確認したところ、事実だと言ったらしい。) 友人の佐藤春夫は「まあ、エロイのもありなんじゃね」みたいな口幅ったい自爆コメントをしたなかで、渦中の人間でない萩原朔太郎が「エロとお下劣を混同して堀口の評価を下げないほうがいい。ただ、堀口の詩を詩たらしめているのは堀口の詩藻あってのことだから他人が真似無い方がいい」というニュートラルな評価でこのくだらない論争にとどめをさしている。 漫画で言えば永井豪のまねはしても、赤塚不二夫の真似はしないようなもんか。 |