「柴田錬三郎選集18 随筆・エッセイ集」 集英社 戦前の慶応の文学青年時から昭和五十年代までの随筆・文芸評論 と、云えば聞こえはいいがかなり歯に衣着せぬ辛口な文章。 ワルクチにならないのは実例を上げた根拠ある事実を俎上にしているから(本音言いなので敵は多かったらしいが)。 「面白くない」純文学をクソミソにけなし、同業者をこき下ろし、師の佐藤春夫の行状すら例外ではない。 小説とは「面白い作り話」、面白ければ「これもあり」などという作者のの小説作法に心強くなる。 かと思うと一方で歴史資料というものを鵜呑みにするな、という小説書きの資料の解析、読み取り方に強く異を唱え 江藤淳の「文学史に関するノート」のお伊勢参りについての資料の解釈に明瞭な批判を呉れている。 「多いときは伊勢に参る諸侯の信徒は、日に数万人を数えた」 という著述に 著者の手元にある「袂草」という文政年間の資料のデタラメ具合を引きながら 「(当時の)高輪プリンスのキャパは八百数十、もし伊勢神宮に数万人が往来したのであればその周辺に高輪プリンスクラスの大旅館が六十以上街道にあらねばならない勘定になる、さらにまた山田に入るには渡し舟は宝暦年間で五艘、文政年間で十数艘、一艘二十人乗せたとして10艘十往復で二千人、一昼夜ぶっ通しで百往復したとでもいうのか。(これが)私が公式の記録を信用しない所以である。」 と明快に論理を述べている。 ためになります。 面白かったのはある日、手塚治虫から電話が来て 「最近の劇画はあなたの小説の真似ばかりしてパクッているから、著作権など何らかの手を打ったほうがいい」 とわざわざ忠告の電話が来た、というエピソード。 どう答えたかはこの本には敢て記されていないがなんと答えたのかは概ね見当がつく。 多分、 「真似できるなら真似してみろ、真似すればするほど猿真似であることを露呈するようなものだ。真似を越えるほど面白いものを書けたらたいしたもんだ」 とでも言ったのであろう。 柴田錬三郎の小説の面白さは上手さじゃなく、面白さ。 きっちりと立てたキャラに地になる細やかな描写で足元を固めているからかなり破天荒なシーンでも説得力を持つ。 パクれるもんならパクリたいっすね。 作者は、「眠狂四郎」ファンは九割九分男性だと思い込んでいて、女性からのファンレターに首をかしげた、というのに大笑い。 「女性は井上靖や五木寛之を読むもんだよ」 にまた大笑い。 この時代に腐女子という言葉こそなかったが明らかに存在した腐女子。 それにしても再読すればするほど面白い「眠狂四郎無頼控」 これ、CLAMPで漫画化しないかなあ。ヤンマガかアフタヌーン辺りで連載とか。「ツバサ」煮詰まってるから。 |