この間読んだ本の感想を 「無念は力 伝説のルポライター児玉隆也の三十八年」 坂上遼著 情報センター出版局 わずか三十八で早逝したルポライター、児玉隆也の生涯を追うドキュメント。 貧困に育ちは女手一つで苦学して大学卒業、光文社入社。 サリドマイド児のルポを代表する綿密な取材を元に表現を駆使して書き綴られるルポでジャーナリストとして活躍。又の名を「文の傀儡子」。 友人で恩人でもある三島由紀夫から三島の自刃を打ち明けられなかったことをきっかけに、本格的社会派ルポライターを目指し、ガンに冒されながらも「特集──田中角栄研究」で文芸春秋賞を立花隆とともにダブル受賞するも同年、享年38歳で還らぬ人となる。 長生きしていればこの人と立花隆が日本ルポルタージュの二大巨頭になったのではないだろうか、と著者は語る。 ウェットな部分を押さえた語り口は好感が高いが、児玉の死後、後年になって児玉を知った著者が資料を集めて集めた資料の中から「児玉たる部分」を掘り起こす作業に、偉大な同業者というフィルターが邪魔になってはいなかったのだろうか。 児玉から三島への確執は興味津々たる語り口でありながら、イタイイタイ病をカドミウム由来にあらず、地元医師の怠慢であるという切り口でおいかけた仕事を語るときには切れ味が鈍い。 しかしながら、立花隆と同時期に活躍し、情報の提示、そこにルポライターの主観を可能な限り交えず、思考誘導もせず、ただ開示された情報だけを読者に提示し読み手のリテラシーを含んだ社会と情報に対する有り様を問う、といった新しいジャーナリズムの方法を展開した著者にもう一度光を当てた行為を評価したい本。 児玉の三島に対する確執、三島のわけ隔てなくしていたつもりでありながら児玉を“芸能記者”とカテゴリーし、自らの自刃を報せなかった(前もって知らせていたジャーナリストもいた)、という辺りが非常に面白い。 児玉は尊敬も敬愛もしていた三島に「芸能記者風情」とふるいにかけられていたことがかなりショックだった。 三島は複雑な内面を持つ人だったから“この人のことを完全に理解しているのは私だけ”みたいに思わせてしまうある種のカリスマがあったのでしょうけれど。 所詮三島のカリスマはキャラ付けの要素が強いものなので、そんなに気にしなくてもいいのでは、と思ってしまい。 こういうのは著者同様、同時代人に生まれなかった“温度差”なのかもしれない。 |