「奇跡のリンゴ 絶対不可能を覆した農家木村秋則の記録」 石川拓治著 NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」製作班=監修 幻冬社 無肥料無農薬でリンゴ栽培を成功させた青森の農業家木村秋則さんの二十年の苦闘と成功への軌跡。 リンゴの無農薬栽培は事実上不可能と言われていた。 農薬は使わなくても除草剤程度は使うし、なにより無肥料では味のいいリンゴは作れない、そういわれていた。 それらの既成概念を見事に覆した記録。 何故リンゴは無農薬が難しいか。 それはリンゴという果実の性格に負うところが大きい。 何故なら花が咲いて、結実し、実が熟すまで約半年。そしてミカンなど柑橘系に比べて果皮は薄い。 結実までの半年間、病気、害虫から守り通すのが至難の業なのだ。 そこで大量の農薬が必要になる。 もちろん、リンゴに残留する農薬は計算されつくしており、最終的に出荷時には残留農薬は人体に無害なレベルに抑えられる。 だが、安全に農薬を使うのと、安全な作物を作るのは全く別のレベルの作業になる。 春から夏の間、農薬にまみれて暮らすリンゴ農家の農業家の人体は農薬に汚染されまくる。 木村さんのきっかけもそこにあった。 奥様が農家の長女であるが、からだが弱く、一回の散布で一週間寝込んでしまわれるほどだった。 そこで木村さんの苦闘が始まる。 所有のリンゴ畑を四つに分け、無農薬、から減農薬、四つのレベルで栽培し、無農薬以外の畑ではほぼ前年と比較して変わらない収穫を得る。 そこで木村さんは思い切った行動にでる。 四つの畑を全て無農薬に切り替えてしまう。 リンゴの木の葉は落ち始め、害虫のエジキになり、一時間ばかりでレジ袋一杯の毛虫がとれるほどだったという。 それをひとつひとつ手で取りながら、農薬以外で人体にも環境にも無害のものを散布できないだろうかと、ワサビ、酢、歯磨き粉、などなどなどを散布したり樹皮に塗りつけたり、木村さんの狂気とも映る試行錯誤が二十年続く。 しまいにリンゴの収量はゼロになり、リンゴ以外の畑も手放さねば生活できなくなり、「カマドケシ」(竈の火を消してしまうほどの甲斐性なしというほどの意らしい)と近所で陰口を叩かれ、一家は食うに食い詰め、木村さんは思いつめるあまり、手で綯った縄で(ロープを買う金にも窮していた)山奥で首をくくって死ぬ決意で山に入る。 死に向いながらも木村さんはそこで、山に生えている木々に眼を遣る。 山の木々は農薬も肥料も無くてもなぜこんなに元気なんだろう、と。 木村さんは山の土に着目した。 柔らかい、そして、畑の土より、温度が高い。 これらの環境が健康な木を育てているのではないだろうか、と木村さんの思考が展開しはじめる。 木村さんは自殺も忘れ、自宅のリンゴ畑に改めて取り組む。 雑草込みでの畑規模の生態系の作り直しに着手してしまうのだ。 今度は手でしていた除草すら止めてしまう。 まわりのリンゴ農家から、除草もしない畑は恥さらしだと言われ、とうとう村八分状態になるが木村さんは実験を継続する。 次第に害虫が減っていく。 リンゴの木に免疫力がついてくる。 そして開始から三十年後、完全無農薬、無肥料で作られたリンゴの収穫に成功する。 小さいが味のいいリンゴであったという。 木村さんはJRにのり、青森から大阪に行ってイベント会場の入り口でリンゴを売る。 もちろん売れない。 しかし、味のいいリンゴ、安全なリンゴ、として次第に口コミで知れ渡っていく。 現在では、超レアリンゴとして市場には出回らず、政治家なんかへの超高級贈答品にされていたりもするそうだ。 実は、無農薬、無肥料の農作物の栽培はさまで難しくはないのだという。 要するに、曲がったキュウリや形や色の悪いトマトに買い手がつかないこと同様、要するに市場が無いだけなのだという。 しかし、安全で美味しいものとして市場を開拓していけないか、そして、レアな高級品としてではなく、ごく一部の特別な作物でななく、無農薬、無肥料で作られた安全な農作物をごくあたりまえの人がごくあたりまえに口に入れるものとして、日本のみならず全世界規模で普及させたい、と木村さんのビジョンは広大だ。 例年、ニュースで聞く廃棄処理に回される過剰生産された農作物や牛乳のニュースを聞くだに疑問をもっていたので、こういうまっとうな思考で生産する農家のかたがおられるということが心強い。 誰もができることではないのかもしれないが、こういう生産者が増えてくれると嬉しいな、と思います。
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